明朝時期
▸1642 崇禎15年 オランダ商館長が東北角Cauwlangに金鉱があると報告されたが、情報を採用しませんでした。8月、金鉱を得るため雞籠に進撃し、スペイン人が台湾を退出
清朝時期
▸1848 道光28年 崙頂福山宮創建。

▸1867 同治6年 11月23日、大地震で鶏籠山崩れ、文人に「奎臨山」と呼ばれ、「奎山」と略称台湾総兵劉明燈が三貂嶺を通って宜蘭へ行ったとき、岩壁に文字を書き記して、金字碑と呼ばれます

▸1890 光緒16年 民が九份地区で金鉱石を拾いました。その後、林兄弟は小金瓜露頭で採掘作業をし、二千両あまりの金鉱を得ました

▸1892 光緒18年 2月1日、台湾巡撫邵友濂が基隆金砂局を設立
日據時期
▸1895 明治28年 9月中旬、日本人は瑞芳で砂金署を設立し、採金者はお金を払って、採金免許を取る上、採掘作業を行います

▸1897 明治30年 4月10日、藤田組が正式に瑞芳(九份)鉱山を採掘開始 10月15日、田中組が正式に金瓜石鉱山を採掘開始

▸1899 明治32年黃仕春と黃仁祥が設立した神壇(勧済堂の前身)、關聖帝君、呂仙祖、張灶君、王天君が主神として祀られ、神壇は「祈堂」(乩堂)といいます

▸1903 明治36年 6月、藤田組が焿仔寮で建造した十三層搗鉱場とシアン化製錬場が落成し、製錬開始

▸1917 大正6年九份黄金の産能が高まり、21,043両に達し、第一回黄金時期、「第一回大著金」と呼ばれます 大竿林地区に「頌德碑」を建てました

▸1922 大正11年田中組は昭和皇太子をお迎えのため、太子賓館を建造

▸1923大正12年 霞海城隍廟創建

▸1924 大正13年鉄道宜蘭線開通、瑞芳と金瓜石の間の道路開築

▸1930 昭和5年春、金山寺創建。

▸1934 昭和9年戯院が軽便路に移転、「昇平座」と呼ばれます 天判堂(代天府)が創建。

▸1942 昭和17年 6月、「527事件」で黃仁祥、簡深淵、呂阿火と数百名の鉱夫が逮捕されました 11月、日本軍は南洋諸島で逮捕されたイギリス連邦の捕虜を、金瓜石「台灣俘虜收容所第一分所」(今の国際終戦平和記念園区)に移転
民國時期
▸1948 民国37年 7月17日、台陽鉱業株式会社準備処が解散、台陽鉱業株式会社が成立

▸1952 民国41年台北バスが瑞金公路での路線開通

▸1955 民国44年「台湾金属鉱物局」が「台湾金属鉱物株式会社」に変わり、台金会社と略称、金瓜石鉱区を管理

▸1971 民国60年 6月、台陽会社が12000坪の土地を寄付し、九份を海濱公路(今の北35線)まで拡張しました

▸1972 民国61年台湾金属鉱業会社が一貫錬銅場を建てた後、一番目の排煙道を茶壺山に沿って建て始めました。廃煙を長仁三坑の旧坑道を通って、茶壺山の後ろに排出したが、程なく排煙道が侵食されました。そのかわりとして、二番目の排煙道を建て、三番目の排煙道も建て始めました

▸1984 民国73年九份海濱煤山で火災、103人が死亡22人が怪我、光復後最も深刻な鉱災

▸1986 民国75年 2月12日、台金会社のオフィスで大火事昇平戲院閉業

▸1987 民国76年 15名のアーティストが台北縣政府に「九份芸術村」という構想を提出。

▸1989 民国78年 10月11日、侯孝賢監督が撮影した「悲情城市」の試写会が金瓜石中山堂で開催首映典禮。

▸1991 民国80年勧済堂に位置する重さ25トン、高さ約11メートルの関公像(銅製)が建てあがり、金瓜石の目印と守り神となり、東南アジアで最も大きい関公像でもあります 金車会社が九份でコーヒーのCMを撮影

▸1994 民国83年大粗坑出身の吳念真監督が映画「多桑」を撮影

▸1997 民国86年 11月23日、「金瓜石捕虜記念碑」が落成

▸2004 民国93年 11月4日、金瓜石に位置する黄金博物園エリアが開園

▸2006 民国95年株式会社クリエイティヴ21が映画「風を聴く~台湾・九份物語~」を撮影

▸2011 民国100年 6月、水金九国際化インフォメーションシステムが完成